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エティエンヌ2世 (ブロワ伯) : ミニ英和和英辞書
エティエンヌ2世 (ブロワ伯)[えてぃえんぬ2せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

エティエンヌ2世 (ブロワ伯) : ウィキペディア日本語版
エティエンヌ2世 (ブロワ伯)[えてぃえんぬ2せい]

エティエンヌ2世アンリÉtienne II Henri de Blois、生年不詳 - 1102年3月19日)は、ブロワ伯、シャトーダン伯、シャルトル伯、モー伯であった人物。サンセール、サン・フロランタン、プロヴァン、モントゥロー、ヴェルテュ、ウルシー=ル=シャトー、シャトー=ティエリ、シャティヨン=シュル=マルヌ、モンフェリクスの領主でもあった。
ブロワ伯ティボー3世とガルザンド・ド・メーヌの子。1074年よりティボー3世はエティエンヌに実質的に統治を任していたが、1089年の父の死によってブロワ伯となった。
エティエンヌ2世は第一回十字軍を率いた首領の1人であり、妃のアデルに十字軍の進捗状況についてしばしば熱心に手紙を書いていた。エティエンヌ2世は、1097年のニカイア攻囲戦における軍評議会の長であった〔Cartier, Étienne (1846) ''Recherches sur les monnaies au type chartrain frappées à Chartres, Blois, Vendoîns, Chateaudum, Nogent-le-Rotrou (Ferche), St. Aignan, Celles, Romorantin, Brosse, etc.'' Rollin, Paris, page 7 , OCLC 27374228 , in French〕 。アンティオキアの長い包囲のさなかの1098年、聖地エルサレムまでの道を築くという十字軍の誓いを果たすことなく、彼は帰国した。彼はアデルの圧力を受けて2度目の巡礼を行い、一部の郎党は途中で帰国してしまった、小規模の1101年の十字軍に参加した。
1102年、エルサレム王国に滞在していたエティエンヌは、ファーティマ朝とのラムラの戦いに参加して戦死した。57歳であった〔Tyerman, Christopher, ''God's war: a new history of the Crusades'', (Harvard University Press, 2006), 87.〕。
==子女==
1080年、シャルトルでウィリアム征服王の娘アデル・ド・ノルマンディーと結婚し、8子をもうけた。
*ギヨーム(1085年-1150年) - シュリー伯
*ティボー(1090年 -1152年) - ブロワ伯、シャンパーニュ伯
*オド - 夭折
*エティエンヌ - イングランド王スティーブンとして即位
*リュシア=マオ - チェスター伯リシャール・ダヴランシュと結婚。1120年、ホワイトシップの遭難で水死。
*アニェス - ユーグ3世・デュ・ピュイゼと結婚。
*アリエノール(1147年没) - ヴェルマンドワ伯ラウル1世と結婚。
*アリックス(1100年頃-1145年) - ジョワニー伯ルノーと結婚。
*アデライード - ミロ2世・ド・モンレリと結婚。
*アンリ - ウィンチェスター司教
*アンベール - 夭折
14世紀後半の情報により、エティエンヌにはエマという庶子がいたことが判明した。エマはアングロ・ノルマン貴族ハーバート・オブ・ウィンチェスターの妻で、ヨーク大司教ウィリアムの母であった〔Davis, ''King Stephen'', p. 172〕 。しかし近年の研究では、彼女の異なる親子関係を示唆している〔Burton "William of York (d. 1154) " ''"Oxford Dictionary of National Biography"''〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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